昭和48年(1973年)、私が稲城市に勤めた4月には、
まだ図書館がありませんでした。
同年6月16日、中央文化センターが開館し、3階の図書館も貸出業務が始まりました。
稲城市で初めて図書館が出来たのです。
職員は、区部から館長として来た男性職員と新卒の女性職員3名。
何もかもが初めてで、まっさらで、体当たりの図書館運営でした。
起案は?図書の選択は?備品の購入は?社会人一年生には難しい仕事です。
挙句に図書の納品の日は、なぜかエレベーターが使えず、
3階の図書館まで人間の鎖になって、バケツリレーよろしくみんなで持ち上げました。
(若かったなぁ)
約1万冊の蔵書で開館した図書館に、まず好奇心の塊の子どもたちが押し寄せてきました。
開館を待ち望んでいた地域文庫に団体貸出したこともあって、
3日目には児童室の書架はがらがらになってしまいました。
子どもたちにとってもうひとつの魅力は、エレベーターです。
稲城にはじめて出来た誰でも使えるエレベーターは、子どもたちの格好の遊び場でした。
この子どもたちを追いかけるのもカウンターの仕事の一つでした。
貸出はブラウン方式で、児童室はしばらくの間、返却日のトレーの中を名前順で並べていました。
常連さんの名前を職員が覚える頃には、子どもたちといろいろ話をすることになります。
「大きくなったら本を書きたい。書いたらこの図書館に置いてくれる?」と読書好きなK君、
「私は、保母さんになるんだ」面倒見の良いYちゃんは、教えてくれました。
2年後には、初めて出来た分館(第二図書館)に、一年後輩のUさんと転勤しました。
今度は、ランド通りの子どもたちが利用者のメインです。
次から次へと面白い本を求める子どもたちに、すっかり鍛えられたUさん。
児童奉仕を重点に地域に根ざした図書館奉仕を展開しました。
その後は、第一・第三・第四・第二と総ての分館を巡って、地域の皆さんの図書館員として
カウンター業務をこなしてきました。
そして、この3月31日に定年退職します。
図書館のお姉さんから、図書館のおばあさんになれたのも、
地域の皆さん(文庫の皆さん)や、私を支えてくれた同僚・家族のおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。