先日、愛車が突然壊れた。
13年近く乗って車検が近づき、そろそろ買い替え時かな、
でも愛着あるしもう1度車検を通そうかな、と考えているときだった。
車屋の店先にあった車を見て「お、この車いいかも」などと思いながら車を走らせていると、
突然愛車がへそを曲げた。
「浮気心を出したからゴネたんだ」と家族に言われたものの、
車屋に相談すると修理するには数十万円はかかるという。
中古車1台は買える金額を出す勇気がどうしても出ず、廃車することに決めた。
廃車を決めると"この子と別れなくてはいけないんだ"という思いが日に日に強くなった。
これまで5台の車を乗り継いできた中で、一番長く乗った車である。
それだけにこの車と共に過ごした時間は濃い。
義母の訃報を聞いて1人で青森まで走らせたことがある。
夫婦喧嘩をして車に飛び乗り、海に行って「バカヤロウ!」と叫んだこともある。
どんなときでも黙って私の涙と笑いをすべて受け止め、静かに解き放ってくれた車だ。
そんな愛車との別れは、人との別れとはまた違うせつなさをもたらす。
廃車に出す前日、運転席に座ってエンジン音を聞きながら、
愛車との思い出に1人しみじみと浸った。
翌日、廃車に出すべく車に乗り込んだところ、今度はエンジンがかからなくなった。
発火系統の不具合が疑われ、もう最後のドライブもできない。
私と同様に、愛車も最後の最後まで別れをイヤがっているかのようだ。
仕方がないのでJAFにレッカーを頼んで運んでもらった。
走ることもできなくなって、ウインチで引っ張り上げられる車の姿に、さらに淋しさが募る。
「交通量の多い道路で突然止まってしまうのを避けるために、
自分の駐車場で動かなくなってくれたんですよ」
そうJAFの人に言われると、愛車の最後の思いやりだったのだと、もっとせつなくなってしまう。
「道路で突然止まる人の車は、だいたい大事にしていないのが一目でわかります。
この車は大事にされていたのですね」
そんな言葉をもらい、感謝の気持ちで別れができることは幸せだと思う。
1度も事故を起こすこともなく、いつも私を安全に運んでくれた車に、
心からお礼を言って別れを告げた。