先日、スイミングクラブに通っている子どもの進級テストを見に行きました。
100mメドレーのタイムトライアルなので、基準タイム内に泳ぎきらないと合格になりません。春から何度もチャレンジしてきて、最初は100メートル泳ぎきるのも一苦労だったのが、少しずつ速く泳げるようになってきていました。前回のテストでは10秒も縮まって、とうとうゴールが見えそうなタイムまで近づき、喜んでいた子ども。
「次は絶対受かるよ!見ててね!」と自信満々に言うので、一緒についていきテストを見守ることにしました。
結果は。。
プールから帰ってきて、何かずっとこらえている様子の子ども。そのうちに、すーっと涙が頬を伝いました。まだこらえて、何も言いません。私も黙ってしばらく頭を撫でていました。
「2秒しか、縮まらなかった。。」ぽつりと話し始めました。
結果、合格タイムまであと数秒だったのですが、受からなかったことよりもタイムが少ししか縮まらなかったことが悔しかったようです。子どもの中では、全力で取り組んで前回くらいタイムを縮めよう、そうすれば合格できる、という作戦だったのでしょう。
ただ、ただ、静かに流す、その悔し涙が私はとても美しいと思いました。
赤ちゃんや幼児の時のような、「出来ないー、もうやだー。」の涙とちがい、自分の目標に向かって試行錯誤し、悔し涙を流す子どもを見てとても成長を感じ、見守っている私自身もじわりと暖かいものが目に溜まりました。
大人になりただ日々の忙しさに翻弄されているうちに、こういう美しい悔し涙を流す事もなくなってしまいました。これからどんどん成長していく子どもたち、まだこの先こういう涙を流す機会がたくさんあるでしょう。羨ましい限りです。親としては、その成長の断片を少し垣間見て、暖かく見守っていきたいと思いました。