国破れて山河在り
城春にして草木深し
古来、杜甫の詩は名高いが、今年の春の訪れは、遅かった。が、やっとわが図書館の城山にも到達したようだ。八の丸の野草公園の中で、一番先に咲いた黄色のフクジュソウに続いて3月23日カタクリの花が咲き始めた。広い関東には、那須の那珂川町カタクリ公園、佐野の三毳山万葉公園、相模原市城山かたくりの里など、カタクリの名所は数々あるが、本図書館の裏山である城山公園八の丸も、北東に都心を望む眺望の良さと、丘陵の山襞の懐に入ったような安心感において、大きな名園にひけをとらない。
カタクリの花を詠んだ短歌としては、万葉集の中で大伴家持が天平勝宝2年(750年)3月2日に、越中の国、高岡で詠んだ次の歌が最もよく人口に膾炙している。
もののふの八十娘子(やそおとめ)らが汲みまがふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花
(万葉集 巻19 4143)
多くの少女たちが入り乱れて、水を汲んでいる。そのお寺の井戸の上に咲いているかたくりの花よ。ちょうど少女たちの黒髪を飾る薄桃色の髪飾りのように揺れて咲いていることよ。 (筆者訳注)
また、シクラメンやコマクサのように、火炎状にそりあがった花弁は、その中に何かをそっと抱きかかえているような印象を見る者に与えるのか、稲畑汀子にも、次の句がある。
片栗の花の山肌日を抱く
これは、ピンクの花で一面に染まったような山の斜面と、一つ一つの花弁の中に、それぞれの大切なものを抱えているような花の姿を両方表現したのだろう。
両詩歌ともこの花の可憐さを言い当てている。ところが、この野草は、地上に出ている葉と茎が2,3カ月で溶けるように消えることもあって、Spring ephemeral(春の短い命)とも呼ばれるわりには、植物学的にはたくましい生活ぶりを誇る。花期は短いが、その間にクマバチ、マルハナバチを介して受粉し種子を作る。この種子には、アリが好きな物質を多く含むエライオソームという付属物がくっついている。そのためアリどもが、めいめいの巣穴まで、長い距離もいとわず、よってたかって運んでくれる。巣の中でアリは自分の好きなエライオソームを切り取った後、いらなくなった種子は巣の外へ放り出す。その種子は各種のアリの巣穴の近所の地上で発芽し、7,8年後に花茎を出してそのうち二枚葉の物が開花する。このようにして、一つの種子は15年以上生きるというのだ。ephemeral(はかない命)どころか、元々はかなりのtough guyであったのだ。アリやハチを巧みに操作し堅忍不抜の精神で、野草としては長命を図ってきたカタクリだが、人間による自生地保護と植生活動なしでは、もはや正真正銘のephemeral になりつつある。
さて、さきの万葉集4143番家持の歌の隣、4142番には、同作者による次の歌もある。
春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路し思ほゆ
天平勝宝2年(750年)3月2日
ここ富山県高岡で春の日に緑の芽をふきだした柳を手にとってさわってみると、この柳の木が風に揺れていた奈良の都の大通りがなつかしくよみがえってくるよ。(筆者訳注)
家持の歌から1262年後の2012年3月26日、私は稲城市城山八の丸に立っている。カタクリの花から目を上げると、小池のほとりの一本柳も、その萌え始めたばかりの緑の糸をはるか都心の雑踏に向かってなびかせていた。