「六斎市(ろくさいいち)」という言葉をお聞きになったことがありますか?
室町時代あたりに始まった古い定期市の一形態で、
ひと月に6回、決まった日の決まった場所に立った市のことです。
四日市、五日市といった地名にその名残が見られますが、
多くは江戸時代以降、商品経済の発達とともに廃れてしまったとされています。
この六斎市が、私の郷里である東北の一地方ではいまだ現役で機能しています。
地元では「市日(いちび)」と呼ぶのですが、
A町は1と5のつく日、隣のB町は2と6の日、さらにその隣町は・・・と
ずっと昔(たぶん江戸時代)から郡単位で開催日のローテーションが組まれていて、
そこには魚屋、乾物屋、荒物屋、種屋、呉服屋から自家製の餅や漬物、山菜まで
近郷近在からあらゆる商品が集まってきます。
ここに店を出す、どこの村の誰さんとも名前のわからないお婆さんの漬物が
私の家族全員の好物で、実家の母にねだっては市日の開催に合わせて
荷物を送ってもらっています。
ネットでもデパートでも手に入らない、世界で唯一この場所にしか置いていない品物です。
私のふるさともご他聞に漏れずシャッターを下ろしたままの個人商店が増え、
駐車場を広くとった大型店舗が町外れにポツンと建っているだけになりました。
そんななかでどういうわけか「市日」だけは廃止の声も挙がらず、
いまだに月6日きちんと開催されているのです。
車で乗りつける「スーパーOO」では手に入らない何かが「市日」にはあるのでしょうか。
「紙媒体の書籍にちょっと似ているかな?」とも考えます。
人はこれまで単に情報を入手する手段としてだけ本を読んできたのでしょうか。
少なくとも私は、1冊1冊違う表紙の手ざわりや厚み、ページをめくる瞬間のワクワク感・・・
それらもひっくるめて読書の楽しみとして味わってきたように思います。
出版物の電子書籍化への対応は、図書館にとって緊急の課題となる大変革であることは
間違いありません。
でも一読書愛好家の立場で言うならば、情報としては無用かもしれない「目に見えない何か」も
やはり味わいたい。
そんな読書の形態がこの先も残っていってほしいと、切に願うのです。