行列した最初の記憶は、小学校の入学前のことである。
地元の公会堂で「小学○年生」を発刊する某雑誌社の後援で、新たに1年生になる子供たちを集めてのお祝いの会があった。
会の演目などさっぱり記憶に残っていないが、故郷の春はまだ寒く、雪もちらつく中、真新しい長ぐつの足をモゾモゾさせながら、開演まで建物の冷たい壁に沿って、母とずっと並んでいたのが思い出される。
お土産にいただいた、大きなお楽しみ袋を喜んで抱えて帰り、付録のビニール袋を次々に開け、不器用に工作したのが思い出される。
小学校の頃は、沢山行列いや整列して行動したはずだ。
遠足・運動会、毎週月曜日の朝の集会も、はたまた教室間の移動でさえ、先生の号令のもと背の順に列を組み、神妙な顔つきできれいに並んだものだ。
暑い時期の朝礼など、校長先生のお話から早く解放されるのを願いながら、じっと耐え背中をツーッと、汗が流れた感覚がまだ残っている。
苦しい行列は、高校の時の山行である。仲の良かった友達にくっついて、何を血迷ったか夏山開きに出かけた。健脚の人にとっては、ハイキング程度の標高の山だったが、顔を真っ赤にし、ぜいぜい息を切らしながら、前の人と間を開けすぎないように、後ろの人のスピードに急かされるように登って行った思い出がある。
しばらく間があいたが、また「行列」に加わるようになったのは、テレビで「行列のできるお店特集」などが、盛んに放送されるようになってからだ。
今でこそ食傷気味で、目新しいテーマではないが、番組で流れるお店の情報を必死でメモしたり、インターネットで調べたりして、家人と勇んで出かけたものだ。あきれるほどの行列だけは確かにあったが、味のほうはというと期待はずれで、疲れて帰ってくることも多々あった。
だいぶこのミーハーな性格は収まってきたと思われるが、数か月に一度、どこそこに行ってみたいと思うことがあり、これに付き合わされる家人は本当にご苦労さまである。
だいぶ前になるが、多くの女性は地図を読むのが不得意という本が話題になったことがあるが、まさしくあれで、家人の協力なしでは、方向音痴の私は一人ではまともにお店にたどり着けないからである。
そして忘れえないのは、あの震災の大行列である。
私自身はかなり遅れてきたバスに運よく乗れ、何とか自宅方面にたどり着き、そこから20分ほどの歩きで帰宅できたが、家族が巻き込まれ、帰宅難民となり延々と歩いたという。
そして被災地の方々が、寒い中配給などを受け取るため、毎日並ばれたことを思うと、安穏と生活を続けた自分にうしろめたさを感じる。
この年になって、恐ろしく不安になる行列もあることを思い知った。
この先行列の先には希望や喜びが待っているもであってほしいと切に願う。