その1
マスクが嫌いだ。
幸運なことに花粉症ではないし、ひどい風邪をひきこむなどということも滅多にないので、嫌いなマスクと関わることはほとんどなく過ごしてこられた。
けれども3年前、好きの嫌いの言っていられない事態になったのはご承知の通り。
そんな当時のある日、外出の際にやむなくマスクを装着して何気なく鏡を見ると、マスクが傾いて斜めになっている。そのときは別段気にも留めなかったが、同じことが2、3度続いてようやく、左右の耳の位置が違う高さだからだと気づいた。私の顔は左右対称でなかったわけだ。
以前、人間の顔は左右対称に近いほど整っていて美しいのだと聞いたことがある。
…………………………なるほど、ね。
自分が美人でないことなぞとうに知っているし、だから今さらがっかりするわけもないが、まさかマスクに「…そういうことだからね(非美人なんだよ)。わかってるでしょうね。」と念押しされようとは。思いもよらなかった。
そして現在。
「マスクの着脱は自己判断で」となったのは、状況が少し好転したからなのだから喜ばしい。
…のだが、見た目、という点から考えてみる。
顔の各部位の中で一番年齢が表れるのは口元だ。その口元をすっぽり隠してくれるマスクは正直言ってまことにありがたく、そのありがたさが当たり前になってすっかり慣れてしまった今、嫌いだったはずなのに「脱」に逡巡する自分がいるのである。
その2
母は認知症で、長いこと施設で暮らしている。
症状が進行してまったく会話ができなくなり、終日誰とも一言もしゃべらない日々を過ごしている。
ときどき面会に行くのだが、常に母の顔は怒っている。
人間、他人と言葉を交わすということをずっとしないでいると、無表情からだんだん怒った顔になっていって、そのまま固まってしまうらしい。
さて、図書館司書はカウンターにいる時は接客業でもある。
司書として利用する方の要望に応えられるよう努めるのは当然だが、一方、接客業である身はできるだけ感じ良くありたいと思う。
利用者の方に対する時は笑顔で。いつもにこやかに。
…ということは、ですよ。
母のことと合わせて考えるに、できる限り口数多くぺらぺらしゃべって、口の周りの筋肉および表情をほぐしておくよう努力するのも仕事のうち、ということになりはすまいか。
さすがにカウンター内でそれをやるわけにはいかないから、家に帰ってからしよう。仕事だもの、毎日励まなくては。
どんなに家族に嫌がられようと。