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2011/07/19

ある同窓会誌

Tweet ThisSend to Facebook | by 図書館スタッフ
父が大事にしていた小さな本箱に、旧制中学校時代の生徒会誌が4冊並んでいます。
父は昨年暮れに89歳で亡くなったので、かれこれ70年以上も前のものになります。
戦前の中学校は5年制ですが、生徒会誌は在校生にだけ配られたようなので、
最上級年のものを除いた4年分が父の手元に残っているのです。
この学校には、祖父、父、私たち兄妹と三代にわたって通ったので、
「鳳凰」というタイトルも馴染みのあるものでした。
中を繰ってみると、戦前の片田舎のエリートの卵たちの精いっぱい背伸びした気概や
プライドがどの文章にも伺えて、ちょっと微笑ましくもありました。

父と同じクラスには母の兄に当たる人もいて、一編の短歌を寄せていました。
真面目な性格で常に学年で5番以内をキープしていたという父と比べて、ちょっと
ちゃらんぽらんなところのある人だったようで、師範学校の試験に落ちたのは素行に
問題があったからだと母が思い出語りに話してくれたことがありました。

先日帰省した折に、父の書斎から「○○中学卒業五十年記念誌」なる冊子を見つけました。
もう20年ほど前に同期のなかに骨を折ってくれる方がいて、仲間から文章を募って
編纂したもののようでした。
10人ほどの同期の方が寄稿してくれていましたが、ほとんどの卒業生が戦争に
駆り出されているので、「五十年誌」には、戦争から無事に帰って来た人たちの
その後の人生が綴られていると読むことも出来ました。

このなかに伯父の文章はありません。
伯父の名前は最終ページの物故者覧にありました。
「昭和20年7月10日マニラ東方50キロ地点にて戦死」
遺骨も帰って来なかったし、葬式を挙げた記憶も母にはないそうです。

同じ頃に中国戦線に駆り出された父は、戦後怪我もなく日本に帰って来ることが出来ました。
そして母と結婚し、こうしていま私がいて子どもたちがいるのです。
もし、父が南方へ行き、伯父が中国に行っていたとしたら・・・

ちゃらんぽらんなところはあっても、末っ子の母に優しかったという伯父は、
生きていればきっと少し緩い感じの笑いの絶えない明るい家庭を築いていたことでしょう。
同窓会誌に綴ることの出来なかった伯父の、
「その後の人生」をあれこれと想像してみたのでしたが、
同時に、第二次大戦で戦死した230万人の日本軍兵士に、
230万通りの綴られなかった「その後の人生」があったのだと、
あらためてその数字の膨大さを実感したのでした。
 
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