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2016/09/30

運動音痴考

Tweet ThisSend to Facebook | by 図書館管理者

この夏はとにもかくにもオリンピックだった。
寝不足になるほど気合を入れてテレビを見ていたわけでもないが、日本の選手が活躍すれば、やはりちょっと嬉しかった。

それにしても、と思う。世界最高のアスリートたちの美しい動きを見るたびに思うのだが、同じ人間なのにこの彼我の差はどこから来るのだろう。毎回思う。必ず思う。

私は極めつきの運動音痴である。
子どもの頃、何が嫌いと言って運動会ほど嫌いなものはなかった。なにしろ全員参加の徒競走がある。何が悲しくて全校生徒の目の前で恥をかかねばならないのだ。
いや実際には誰も他人のことなど真剣に見てやしないのだが、無邪気な低学年のうちはともかく、長じてくるとそんなことばかり気にするようになるのである。
同じ組で一緒に走ることになった子は、面と向かって「ああよかった。あんたがいるなら私ビリにならなくてすむもん」と言い放った。失礼な奴だ。だが結果はその通りだった。

運動会当日に熱を出さないかと、計画的に幾晩も布団を掛けずに寝たりしたこともあった。が、鼻風邪すらひかなかった。私は健康で頑丈なのである。そして頑丈と運動神経は全然関係ないのだ。


中学の体育祭では、短、中、長距離、障害、etc ……の種目のうち、どれか一つに必ず出なければならないことになっていた。
私は断然100メートル走を希望した。同じ恥をかくなら、時間が短い方がいいに決まっている。200メートル走の半分の恥で済む。考えることはみな同じとみえて、オリンピックならば陸上の花形競技である100メートル走が、わが中学では、学校中で最も鈍くさい連中がどたどたする場となっていた。


ダメなのはもちろん走ることばかりでない。球技全般もいけない。
テニスなど、あれだけ一生懸命素振りをしたのだからフォームは完璧だったに違いない(鏡を見ながらまじめに練習したのだ)。しかし球が当たらない。きっと私のラケットは、ガットの張ってないすっぽろのただの木枠だったのだろう。

バスケットボールの試合中、一度もボールに触らないことなどザラだった。適当に跳ね回ってはいたので、誰も気がつかなかっただろうと今でも思っている。

走りもダメ、ボールもダメなのだから、いわんや鉄棒だの跳び箱だのにおいてをや。空中であんな人間本来の動きとかけ離れたことをするなんて、正気の沙汰とは思われない。内村航平選手は、怖いと思ったことは一度もないのだろうか。


この手のことは、男の子は母親に、女の子は父親に似ると聞いて、父を問い詰めたこともある。「確かに運動は得意じゃなかったが、かけっこだけは普通より速かったぞ」と言うのだが、……なるほどそうだったかもしれない。だが証人は一人もいないのが残念なところである。

思いついて、図書館で「うんどうしんけい」と検索したら『運動神経がよくなる本』という本が見つかった。おお。今さら手遅れではあるが、読んでみた。

「運動神経は決して遺伝的、先天的なものではなく、むしろ身長などにくらべて後天的要素が大きい」「体育やスポーツの世界には、今なおたくさんの誤った技術認識や指導法がまかり通っている」云々。思わず唸った。

そうだったのか。まだ小学生のときに、この本を読んだ教師に適切な指導をしてもらっていたら、スポーツ万能とまでいかなくても人並みぐらいにはなって、その後の人生も変わっていたかもしれない、とすら思えるのだった。ああいう苦い思いというのは後々まで尾を引くのだ。いまだに引いている。


運動音痴「考」ではなくて、「運動音痴のただの愚痴」になってしまった。
まじめに「考」したい方は、ぜひ先述の本を読んでみてください。

『運動神経がよくなる本 あきらめるのはまだ早い』

白石豊/著(中央図書館所蔵、資料コード 310622791)


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