噂には聞いていました。
「途方に暮れた」
「ケンカになった」
「すごく大変で疲れ果ててしまった」
「時間と経費がとにかくかかった」
「もっと早く、生きている時にやるべきだった」
実家の荷物の片付けのことです。
親が亡くなってしばらく経ち、
やっと私も重い腰を上げる気になってきました。
「私たちが死んだら何でも捨ててちょうだい。」
と笑顔で話していた親の荷物の多さにびっくり。
ほんとに何でも取ってありました!
昭和ひとケタで生まれ。
物のない戦前・戦中・戦後を生き抜いた人で、
一応普通の生活水準を成しえた人の押し入れ・タンスには、
物がぎっしり詰まっていました。
唐草模様の大きな風呂敷には、
私たちが帰省した時に使うようにと、
お客様用の布団が何組もそっくり新品のように取ってあり、
押し入れの中で層をなしていました。
タンスには、律儀にも一枚一枚クリーニングに出し、
ビニール袋が被ったままの洋服がぎっしり詰め込まれていました。
この年代の人は「何かあった時のため」に
とにかく取っておくのが習い性。
お呼ばれした結婚式の引き出物が多数。
昔の結婚式の引き出物は見栄えが良く、
持ち帰るのにも大変な
かさ張る物が主流でした。
また、何かの行事名入りの記念品も多数。
今は廃線となっていますが、
会社に引き込まれていた
鉄道の線路(実物)30㎝もありました。
労使交渉で使ったらしい文言が赤で染め抜かれた
手ぬぐいハチマキ数枚まで、端がほつれた物でも
きちんとたたんで取ってあるのには、笑ってしまいました。
皆さまはアルバムの整理で懐かしい写真に目がいき、
見入ってしまい、片付けが捗らなかったとよく聞きますが…
私はまだその段階にも行っていません。
しいて言えば、私が子供の頃で
親が40代、50代で着ていた服に懐かしさを覚え、
その頃の元気だった両親、にぎやかな団欒がよみがえってきました。
高齢になってからの服には、私が何かのついでに送った物が、
あまり袖を通した様子もなく、次々と出てきました。
真新しい下着も山のように取ってありましたが、
普段は自分で繕ったりした物を着ていたようで、
病院にかかるようになって、
それでは恥ずかしいと着始めたようです。
しかし、すぐに介護のしやすい肌着のお世話となり、
手付かずのままタンスに納めてありました。
離れて暮らす私もそこまで気が回らず、申し訳なく思いました。
私自身を省みて、今流行りの断捨離ではありませんが、
終活を始めても遅くない年代になってきました。
身の回りの整理の時期が来ていると強く感じました。
(追伸)
物を取っておくことを、さも悪いことのように書いてしまいましたが、
この数週間、お店に行っても陳列棚にマスクなし、
消毒薬なし、ティッシュなし、トイレットペーパーなし
…とくると生活に不安・不便を感じ、うろたえてしまいますし、
親のように物を取っておくことを否定できなくなりました。
本当に何もない不便さを生き抜いた親は
やっぱりすごかったですね。