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一つ目の説(せつ)

 
一つめは、「『稲城』の地名と窪先生」(いなぎのちめいとくぼせんせい)という本に書かれている説です。

稲城村(いなぎむら)のはじめの村長(そんちょう)になった森清之助(
もりせいのすけ)から相談(そうだん)された窪全亮(くぼぜんりょう)が「稲穂(いなほ)(※1)」と「稲城」の二つの名前で迷っていました。その当時(とうじ)、矢野口(やのくち)・東長沼(ひがしながぬま)・大丸(おおまる)にお城(しろ)があり、たたかうときには稲木(※2)をめぐらせて敵(てき)の矢(や)をふせいだこと、また、むかしからお米がたくさんとれたことから「稲(いね)」と「城(しろ)」が合わさった「稲城(いなぎ)」にきまったと言われています。

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