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つくられてどれくらいなの?

 いつごろつくられたものかはわからないのですが、延享(えんきょう)3年(1746年)の古文書(こもんじょ)に、元禄(げんろく)12年(1699年)以来、大丸用水(おおまるようすい)の修理(しゅうり)が行なわれたことが見られることから、江戸時代(えどじだい)のはじめごろにつくられたと言われています。

 武蔵国(むさしのくに※2)の色々なじょうほうを記(しる)した「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」と言う資料(しりょう)には、こうりつよく色々な所に水をながすために3つの樋(ひ)がつくられたことなどが記(しる)されています。また、この資料(しりょう)から稲城(いなぎ)だけではなく、川崎方面(かわさきほうめん)の村々の田んぼにもつかわれた、だいじな用水路(ようすいろ)だったことがわかります。

 また、当時(とうじ)は現在(げんざい)のようなコンクリートなどの技術(ぎじゅつ)がまだなかったころです。多摩川(たまがわ)の洪水(こうずい)で被害(ひがい)が出ると、用水(ようすい)をみんなで協力(きょうりょく)しあって修理(しゅうり)したり、管理(かんり)をする農民(のうみん)たちの苦労(くろう)もうかがえます。

 その後明治(めいじ)40年(1907年)ごろになると八カ村(はちかそん)用水組合(ようすいくみあい)(※3)による管理(かんり)で、約400ヘクタールの田んぼに水をみたすほどになるのです。(ちなみに遊園地(ゆうえんち)・ディズニーランドの広さは51ヘクタール。)
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