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二つ目の説(せつ)
二つめは、1932年、1933年(昭和7、8年)ころに石井正義(いしいまさよし)が書いた「武蔵野郷土地名稿」(むさしのきょうどちめいこう)に書かれている説(せつ)です。
はじめは「稲毛村(いなげむら)」の名前があがっていましたが、当時(とうじ)の県(けん)のゆるしがえられず、「稲城(いなぎ)」は「稲毛(いなげ)」と意味(いみ)がにていることから「稲城(いなぎ)」に決まったとも言われています。
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